
先月の21日(夏至)は、日本でも日食が見られる日でした。
しかし、私の住む伊勢崎市は朝から曇り…
日食が始まる予定時刻の天気予報も、曇りまたは雨…
なので、日食を見る為だけに新潟まで足を伸ばしました。
観光は一切なし、本当に日食を見る為だけに、海の見える見晴らしのよい丘(岬?)に到着です。
人もほとんどおらず、息子はキラキラした水面とレンズ越しの太陽を見た後は、蝶や蟻(栄養が良いのか巨大だった)と戯れていました。
私と夫も芝生に足を投げ出して、海を見ては太陽を見る、という贅沢な時間を過ごしました。
私「ねぇ、知ってる? 今日は夏至と、日食と、新月が重なる日なんだって。とても貴重な感じがするよね。」
夫「ふーん。…まぁ、日食の時に新月になるのは当たり前だけどね」
私「!!」
…そうでした、夫は理系でした。
いや、私だって落ち着いて考えれば
〇(太陽) ●(月) ◎(地球)
の位置関係の時に日食が起きるのだから、その時は新月になるなって、ゆーっくり図に起こして考えれば分かります。
でも、こういう時にロマンを挟まず、さっと現実を突き付けてくるところに、そういえば色々と助けてもらいましたなぁ。
この後、「新月の時に必ずしも日食にはならないのはどうしてか?」も月の公転軌道と合わせて教えてもらいましたわい。

そんなこんなしている内に太陽は欠けてきて…
日食グラス越しの太陽をスマホで撮ってみたものの、レンズの重なりのせいか、上手く撮れませんでした。
写真中央の黄色い物体が、欠けた太陽です~。
写真では伝わりづらいですが、徐々に欠けていく太陽をずっと眺める日食という現象のもとでは、星や人の巡り合わせについて考えます。
話は遡り…

数か月前からカリンバという楽器を始めました。
この楽器、アフリカはジンバブエのショナ族の民族楽器で、親指ピアノという名称で呼ばれることもあります。
両手で持って、並んだ金属棒を指ではじいて演奏します。
オルゴールのルーツとも言われていて、音色は澄んでいて、とても優しいです。
弾けば音が出るので、適当に思いつく曲を弾いていたのですが、この素朴な楽器の良さを活かせる曲は無いかなぁと探していたところ、良い曲を見つけました。
『星めぐりのうた』
あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。
オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。
大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。
この歌は宮沢賢治の物語『双子の星』に出てきます。
生前、賢治が歌っていたものが採譜され、メロディもついています。
こちらは坂本美雨さんと聖歌隊のCANTUS(カントゥス)による『星めぐりの歌』
重ねられたコーラスが美しく、満天の星空が広がるようなアレンジが気持ちよいです。
同じ曲だと、水曜日のカンパネラのコムアイさんのオリエンタルかつ少女のような歌声も素敵。
…とにかくこの曲は派手さは必要なく、シンプルなんだけど、演奏しているとそこから星空や宇宙が広がるような曲だなあと思っています。
メロディも子守唄や民謡のような安らげるもので、民族楽器のカリンバとも相性がよく、今はじっくり練習中です。
練習している内に
ああ、本も音楽も、必要なものはこうやって巡り合える。
たとえ作者が目の前にいなかったり、この世から亡くなっていたりしても、離れた場所や時に、その人やその作品に触れることはできるのだなあ
と前々から思っていたことが確かなものになっていました。
そしてこれは昨日のこと。
いらして頂いていたお客様が、施術の終わりにお話して下さいました。
「私、実は愉和の整体については5年くらい前に知ってました。
その時は、横浜でしかその整体を受けられなくて。
受けてみたいなあと思ってたのですけど、遠くて、行けていなかったのです。
そしたら、ある時、群馬で受けられるこちらを見つけて。
このお店を見つけて、この整体を受けられて、良かったです。」
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本当に必要なものは、いつか誰かに届く。
そのめぐり合わせは、地道にこつこつやっていると、力が抜けた時に、神さまのプレゼントみたいに、ふっとやってくるのかもしれないなあと思いました。
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