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枕草子から考える清少納言の体癖

 

私は昔からエッセイを読むのが好きでした。

 

何故なら、著者の人となりや、どのように生活していたのか、また、その時代背景が染み込むようによく分かるからです。

 

今でもエッセイや自伝、インタビューなど、気になった人の目につくものは面白くてどんどん読んでいます。

 

そして新たな楽しみとして、その内容から、その人の体癖を想像する、ということもやっています。

 

 

例えば、今回は清少納言について書いてみたいと思います。

 

彼女のエッセイはかの有名な『枕草子』ですね。

 

古典を本格的に学ばない小学生の内から、教科書に載っていたことを記憶しています。

 

 

まずは一番有名な春はあけぼの、のところを書いていきます。

 

 

春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは すこしあかりて 

紫だちたる雲の細くたなびきたる

 

 

春は夜明け頃よね、だんだん白くなっていく山の端っこの空が少し明るくなって

紫色っぽい雲が細くたなびいてる(のが超イイ感じ!)

 

↑現代語訳は私が勝手につけました(笑)

 

 

この文章だけで、もう彼女の体癖が少しわかりそうですよね。

 

色彩に敏感で、思ったことを悪気無く言って、はしゃいでいる感じ…これは3種がありそうですね。

 

この後も、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて(早朝)など、四季折々の彼女の「素敵!」と思った事柄について、ばしっとした言い切りの文章が続きます。

 

 

うーん、3種メインにしては、ちょっと言い切り過ぎるな…

 

『枕草子』の春はあけぼの、から始まるところは、とてもリズムが良く、それは清少納言さんがハッキリ断定して物事を言い切ってくれているところにあります。

 

冬の情景のところでは、寒さがゆるんだ後の火鉢が白い灰ばかりのなっている様を「わろし」=「良くないわ!」とこちらもまたはっきりと言い切っています。

 

 

おや? 清少納言さん、少し勝気ですね…

 

他の文も読んでみましょう。

 

 

101段 御方々・君たち・上人など御前に人の多くさぶらえば…で始まるシーン。

 

清少納言は一条天皇の皇后である定子さまにお仕えしていた女房でした。

 

このシーンは定子の周りにそのお身内の方や、貴公子など身分が高い人々が集まっていた時の話です。

 

 

皇后である定子が清少納言に、何やら書き付けたものをそっと投げてきました。

 

開けて見ると

 

「思ふべしやいなや。人、第一ならずはいかに。

(可愛がってあげようか?一番じゃなかったらどうする?)」

 

と書いてあります。

 

これは普段、定子の前で清少納言が他の女房と話している時に

 

「すべて人に一に思はれずは、何にかはせむ」

 

(なんだって人に一番に思われなくっちゃ何になるっていうのかしら)

 

「二、三にては死ぬともあらじ。一にてをあらむ」

 

(二番目、三番目なんて死んだって嫌だわ。一番が良いの!)

 

と言っていたからなんですね。

 

 

おお、かなり強力な上昇志向、そしてナンバー1に拘っています。

 

 

ところが、日頃からお慕いしてお仕えしている定子さまから「一番じゃなかったらどうする?」と手紙を頂いてしまったのです。

 

 

そこで清少納言はこう答えます。

 

「九品蓮台(くぼんれんだい)の間には下品(げぼん)といふとも」

 

直訳すると、「極楽往生したものが座れる九品蓮台の間だったら、下の階級でも」になるのですが

 

つまり、あなた(定子)様に愛される極楽でしたら下の階級だって全然かまいません、と言っているのです。

 

この、上の身分の人にはめっぽう弱くなってしまう、さっと頭を下げてしまう感じ、

 

そして、先ほどの「1番じゃなくっちゃ!」には7種要素がありますね。

 

 

この他にも、定子の出産のため、そんなに身分が高くない大進生昌(だいじんなりまさ)の家にうつる時、素朴な生昌をこてんぱんに言い負かしてしまうシーンなどもあり、やはり勝気な7種要素を感じます。

 

 

しかし、総じて枕草子は明るく、彼女の感性がとらえた美しいこと、面白いことが生き生きと書かれていて、思わずくすっと笑ってしまったり、「へぇ~」と感心したりすることがあります。

 

 

また、よく、紫式部の『源氏物語』はあはれの文学、清少納言の『枕草子』はをかしの文学と言われます。

 

あはれ、と、をかし。

 

どちらも「趣深い」と訳されますが、あはれ、の方がより感情的・主観的でしみじみとした悲哀が入った言葉です。

 

をかし、は明るく、あはれよりも軽さや知的興味があり、そして客観的です。

 

 

つまり、主観の強い3種と7種に、上下型のような分析したい知的欲求と客観的視点が良いバランスで入っているのです。

 

 

枕草子の中でも、彼女の教養の高さや、それを下支えしてきたであろう知的欲求がよく表れているエピソードが目立ちます。

 

定子さま含め、身分の高い方に〇〇と言われたから、機転を利かせて、このようにお答えしたのよ!という少し自慢げな書き方になっているのは7種っぽさが隠せてないとして笑、やはり上下(2種かな?)があったと思います。

 

 

となると、7種要素が強く外面に出ていたら、意外と胴が太かったのかな?とか

 

3種要素が強く外面に出ていたら、肩や顔が丸かったり、綺麗な声音だったのかな?とか

 

2種要素が強く外面に出ていたら、首が長かったのかな?とか

 

写真が残っていない清少納言の、外見の妄想が膨らみますね。