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清水先生とピアノの思い出

こちらの写真はCosmosにある古いアップライトピアノ。

ヤマハに吸収される前の天竜楽器が製造していたエテルナというピアノで、亡き祖父が小さい頃の母に買ったものです。

今は縁あって、うちに来ました。

このピアノは作られてから60年くらい経っているので、けっこうなご老体なのではありますが、たまに弾かせてもらっています。

 

 

今日はどうして私が清水先生のもとで、整体を学ぼうと思ったのかというお話です。

 

先生の施術を受けに行ったのは、数年前のある12月のことでした。

当時は態度には出さなかったものの、愉和法については猜疑心だらけでした(自分で体験しないと納得しないタイプ)。

しかし、1度目の施術で足の指から締め付けられていたように痛んでいた目の奥の方がゆるんで大きく開いた感じがし、確かにそっと触るだけでも身体は自発的に変化するのだ、と体感はできたのです。

ただ、だからといって先生に弟子入りして、群馬からはるばる週1回横浜まで通えるのか…ここは悩ましいポイントでした。

 

先生の施術が終わり、私は何気なく、「このお部屋にはピアノがあるのですね」と先生に声をかけました。

今でこそ清水先生がピアノの名手であることは知っていますが、当時は何も知らず、まだ先生ご自身もYouTubeでピアノ演奏の動画発信等はなさっていない時期でした。

 

「そうですね… もし良かったら、ちょっと、弾いてみましょうか」

と、先生はおっしゃって下さいました。

「いいんですか?ありがとうございます、じゃあ…ぜひお願いします。」

と私は答えました。

 

さっと椅子に座り、先生はピアノを弾き始めました。

それは即興で先生の心が向くまま、色々な曲をアレンジしながらのメドレーでした。

素晴らしいテクニックと、ジャンルを問わない音楽への深い愛が迫るように感じられる演奏でした。

先生の操法を受けた後ということもあり、緩んだ身体に音色は染み渡り、ぼうっとした浮遊感の中で演奏は終了しました。

 

「今は、どのくらいの時間をピアノ練習されているのですか?」

と問うと、

「全然していないです。思いついた時にちょっと弾くくらいです。」

という先生の答え。

 

この答えには驚嘆しました。クラシック1本槍ですが、私は幼少期から中学卒業するくらいまで1日数時間をピアノに費やしていたことがあります。

芸事でもスポーツでも、1日休んだ分を取り返すのには1週間かかるというふうに言われます。

それを、「今は思いついた時にちょっと弾く」、という程度で即興でこれだけの演奏をされるのですから、一時期、どれだけの練習量をこなしたのだろう、と空恐ろしくもなりました。

 

私 「ピアノはどんな風に練習していたのですか?」

 

先生「楽譜を読むのはあまり好きではないので、ほとんどが耳コピです」

 

私「テクニックの面では、ツェルニーとか、ハノン(←クラシックピアノ練習曲の定番)とかで練習した訳ではないですよね?」

 

先生「ああ、そういうのは全然やってないです。速い曲も音数が多い曲も弾きこなすために、テクニックの面では、特に3、4、5の運指をとにかく強化する練習はしましたけど。」

 

私「独学で、ですよね。ああ、なるほど…」

 

話をすればするほど、私は静かに、けれど心の底から嬉しさがこみあげました。

もはや、身体の一部のように自在に思った音楽を奏でられる先生のピアノから、愉和法という少し変わった整体法を生み出せた理由が少しわかった気がしたのです。

 

先生のピアノの練習は決して王道ではなかったでしょう。

ただ、ご自身の納得されるレベルのものを弾きこなす為の、独自の練習の仕方の開拓、研ぎ澄まされた感覚、探求心…ありとあらゆるものが演奏の中にあり、その人となりを表していました。

 

また、この先生が編み出した整体なら、今まで見たこともないやり方ではあっても、信頼できる、と素直に思えたのです。

(その他にも、「才能や超能力やハンドパワーではなく、訓練すればほぼ誰でもできる」という言葉や、「お金もうけの為の整体ではない。短時間でお客様を回すようなことはなく、時間をかけて身体の声を聞いていく整体である」という信念も良かった)

 

かくして、その次の年から、先生のもとへ通うようになったのでした。

 

 

先生のピアノ演奏はこちらから聴けます。→愉和HP 音楽館