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心身は不可分である➀

野口整体の考え方の1つに、潜在意識教育というものがあります。

 

人間の身体が健康であり元気であるためには、どのように心を使って生きたら良いか

どういう心の使い方が人間の健康と関連し、人間を丈夫にするか

という心身一体の考え方です。

 

心、意識、と言われると、じゃあ「前向きになろう!」とか「あらゆるものに感謝して生きよう!」とか、自分で自分をそういう意識付けしようと鼓舞する方向に話をもっていきがちなのですが、この場合は違います。

 

大事なのは意識しない心、つまり潜在意識的な心であり、意識でどう言おうと考えようと、実際に身体に変化を与えるのはこの潜在意識なのです。

 

ここでよく野口先生の著書の中に出てくる実例として、凧揚げの子どもの話が出てきます。

寒風ふきすさぶ中、親に言いつけられてしぶしぶお遣いに行く時は寒くて寒くて仕方がない。

なのに、凧揚げならば、自分の潜在意識の中でやりたいことであれば、冷たい風も気にならない、というお話です。

皆様も身に覚えがあるのではないでしょうか?

 

私も日々お客様のお身体を見させて頂いている時に、「心身は不可分である」ということを実感します。

 

特にそのことを強く感じられたエピソードを1つ出しましょう。

 

継続的にお身体を見ている40代女性のお客様、仮にAさんとしておきます。

 

Aさんは今年の4月に初来店頂き、そこから月2回くらいのペースでいらして下さっています。

彼女のお身体を見ると、いつも左右後頭部下、首と頭の境目あたりが強くこわばっているのです。

ご本人いわく、「いつも、ズーンと後頭部が重かった。首根っこをつかまれているような違和感もあって…」

とのこと。

 

後頭部にこわばりがあると、そこに向かって肩や背骨、骨盤が引っ張られ、上に上がっていきます。

なので、いつもAさんの施術では、後頭部のこわばりをゆるめ、そこを起点に肩、背骨、骨盤をゆるめていきます。

施術後は上に上がっていたあらゆる体の部位が元の場所に戻り、全身が整うので、しっかりと地面をつかんで立つ安定感が出ます。

ご本人も最初に比べて目が疲れづらくなり、首回りが楽になったりと、身体がどんどん楽になっている実感はあるのです。

 

でも、その後頭部のこわばりは、ゆるめてもゆるめても、次の来店時には、やはり頑なに居続けました。

 

ところが、ある日、動きが出ました。

 

実はAさんには、ずっとあるお悩みがあったのですが、全て解決するまでは行かないものの、ご自身で行動し、前進し始めました。

また、そのお悩みについて腹が決まったというのか、やれるだけのことはやって受容しよう、という気持ちの在り方を確立されました。

 

そして、そこから、数回お身体を見ていますが、あれだけ頑なだった後頭部のこわばりが出ないのです。

タイミングとして、やはり、心が変わったタイミングでお身体も変わったのだと、

心身はやはり不可分なのだと、強く思った出来事でした。

 

 

上記の話に補足をすると、頭のこわばりは多くの方に見受けられます。

 

原因は様々で、過去の打撲や難産など外部から受けた力が内攻しているパターン、視力が悪い方、PC作業で目を酷使することで後頭部がこわばるパターン、あとはやはり普段の姿勢からくるパターン。

スマホが普及したことで下を向いている姿勢の方が増えてきているとも思いますが、職業柄、やむなく下を向いていないといけない場合もあります。

 

実際に私が、普段の姿勢から頭のこわばりが強いお身体を見たことがあるのは、患者さんの口元を見る為、下向きの姿勢が多い歯科助手さんの方です。

 

その方は首コリ、肩こり、腰痛、足底筋膜炎などあらゆる不調がありましたが、全ての症状の大本の原因は、やはり下向きが続いたことによる後頭部のこわばりでした。

後頭部のこわばりをゆるめてそこを起点に身体を整えていくと、辛い症状が軽快しました。

特に腰痛、足底筋膜炎に関してはかなり軽くなりました。

施術に一切力を使わず、頭を起点にすることで、腰と足裏の症状が楽になることにはとても不思議がっていらっしゃいました。

しかし、頭と腰、足裏は見た目としては離れていますが、繋がっています。

 

身体は全て一体のもの、そして、心と身体も一体のものです。

 

だからこそ施術者は、「この施術をすれば、この療術をすれば、必ず痛みはとれます」と断言してはならないと思っています。

お身体の不調や痛みがとれたり、快方に向かうタイミングはお客様の心身しか知り得ないことだからです。

 

私たち施術者ができることは、お身体を注意深く観察し、方向性を与えて、自発的に変わっていくのを見届けることだけです。

何かをやってやろうと下手に力まず、そこにある心身を尊重し、時には、「待つ」ことが最良の選択肢である場合もあるのです。