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体は覚えている②

以前のブログ記事「体は覚えている」にも通じる話なのですが、トラウマやPTSDを解放させるセラピーの手法として、ソマティック・エクスペリエンス(SE)というやり方があります。

 

ソマティックとは「自分の内側から捉えた身体」

 

エクスペリエンスとは「経験」という意味ですね。

 

 

従来のカウンセリングは、言葉によって、心に働きかけていくものですが、SEは主に「身体」に働きかけていくものです。

 

子どもの頃に受けたトラウマ体験が、思春期以降様々な精神的・身体的な病気を発生させている原因となっていることも多く、トラウマは単なる心の傷ではなく、身体ととても深く結びついていると言えます。

 

ソマティック・エクスペリエンス(SE)は、とても簡単に言ってしまうと、トラウマを受けた時の身体の状態に着目し、それをどんな風に感じたか、または本当はどのように身体を動かしたかったかを認知すること。

 

そして、それを実際に行動にうつしてみたり、思っていたことを言葉に出したりして、トラウマを受けた時に凍りついてしまった心と身体を前に進ませる、といったやり方です。

 

 

本来は、専門のカウンセリングをきちんと受けた方が良いとは思うのですが、SEについて調べれば調べるほど奥深く、面白くなってしまったので、「自分でできるところまではやってみよう!」と思い立ち、自分でできる範囲でSEをやってみました。

 

ここからは長く、私の生い立ちの少し暗い描写がありますが、それも含めて現在の私でありますし、身体と心はつながっている、というエピソード、そしてSEの具体例という点に着目して読んで頂ければと思います。

 

 

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私が高校を卒業するまで、家は母の絶対君主制でした。

 

父も私も母の機嫌を損なうと面倒くさいことになるので、できるだけ逆らわず、怒らせないというのが暗黙のルールです。

 

幼少期から高校に上がるまでは、母は1人娘の私に対して、非常に過干渉、支配的でした。

 

特に、習い事のピアノに関しては、3歳頃から中学生時代まで、それはそれは厳しく仕込まれました。

 

母は音大出であった為、自分の中に揺るぎない絶対的な「音楽」があり、そこに到達できなければ小学生だろうが中学生だろうが容赦できないのです。

 

しかし娘の私から言わせてもらえば、母の思う「音楽」に到達しようと頑張っても頑張ってもあまり褒められることはなく、常に注文をつけられ、ピアノの練習時間が減るから、という理由でなかなか友達と自由に遊べないことや入りたかった部活動にもいれてもらえないことに不満がつのります。

 

また、1番の問題点は、母の思った通りにいかない怒りが沸点に達すると、私に対して物を投げたり、大きな声で暴言を吐いたり、たびたび暴力をふるうことでした。

 

このことは私の心と身体をひどく萎縮させました。

 

ただ、小学生や中学生のうちは家から出る手段もありませんし、密閉された家庭の中では1日を多く過ごす保護者の母の思う通りにやらなければ生きていけません。

 

多分、この頃は心と身体を切り離して、1日の多くをピアノに費やしていました。

 

 

小学校3年生頃、いつも通りピアノを練習していると脚に変な感覚が走りました。

 

ピアノの音が自分の脚に共鳴して、むずむずするような、微弱電流を流されてぴりぴりするような感覚があるのです。

 

痛いというよりも、むず痒いといった居ても立ってもいられない違和感で、特にハノンやツェルニーなど指を速く動かす練習曲でよく起こりました。

 

「ピアノの音が脚に伝わって、むずむずしたり、かゆくなったりする」

と、私は母に体感を告げました。

 

母は気のせいだろう、と取り合ってくれず、違和感を訴え続けると、しまいには「練習したくないから、そんなこと言って!」と怒りました。

 

 

ここで、今の私は思うのです。

 

確かに、練習したくなかったのです(笑)

 

しかし、それはただのわがままではなく、「練習したくない」という心を押し殺した結果の、身体の防御反応だったのではないかと思うのです。

 

大きなストレスを抱えた人が、就寝時に身体に虫が這うようなムズムズとした違和感があって眠れない、という症状が起きることがあるのですが、それと同様のことが起きていたのだと思います。

 

 

また、私には不可解なことがありました。

 

普通、弾けるようになったピアノ曲は自分の中で、ストックとしてたまっていきます。

 

ピアニストが自分のコンサートで、何曲も弾けるのは、弾けるようになった曲を自分の音楽として身体と脳が覚え、ストックできるからです。

 

ところが、私は、1度弾けるようになった曲でも、次の新しい曲を練習している内に忘れてしまうのです。

 

1日4~5時間も練習に費やしているのに、次から次へと古い曲は忘れてしまい、弾けなくなってしまう…。

 

この謎も、今なら、理解できます。

 

指がどんなに速く動いても、表現が難解で楽譜が20ページにわたるような長い曲が一時的に弾けるようになっても、私は心の底から「弾きたい!」と思って弾いてた訳ではなかったのです。

 

自分の心が愛着をもってないから、身体はどんどん忘れてしまう。

 

ある意味、当然の結果です。

 

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ここまで、前置きがとても長くなってしまいましたが、高校進学後はあまりピアノを練習することもなくなり、今では全く音楽とは関係ない整体という世界に魅かれ、自分が面白いと思うことを気のむくまま学びました。

 

そして、心から興味があり、愛着がわくボディワークの世界では、できることが着実に増えていきました。

 

現在は、一生勉強していたい身体の世界で、それを仕事にできる面白さとありがたみ、奥深さをひしひしと感じています。

 

 

そして、ここからが、私の行ったソマティック・エクスペリエンス(SE)の具体的内容ですが…。

 

私の心の傷になっているのは、やはり、母から受けた暴言や暴力です。

 

まだ、体が小さく力で抵抗できない内は、あおむけに引き倒され、上に乗られ、抵抗できないように手を押さえつけられた上で顔を何度も殴打されるということがありました。

 

 

その時の状態を、できるだけ心を平静に保って、思い出します。

 

具体的に思い出していくと、その時の母の着ていた服の色や模様などもしっかりと思い出され、辛い気持ちと一緒に涙も出てきます。

 

しかし、感情にではなく身体に意識をフォーカスさせる(←ここが重要)と、身体がゆっくりと動き出していくのがわかります。

 

私の場合は、脚が強い力でつっぱるようになり、手を上に上げたくなるような動きが出てきました。

 

 

SEでは、この、身体の感覚と、どうしてその感覚があるかをしっかり認知することが大切です。

 

身体に起こる動きとその理由を認知した上で、トラウマを受けた時にはできずに凍り付いてしまってる心と身体を前に進ませる為に、実際にその時したかったであろう動作を行ったり、気持ちを口に出したりしてみます。

 

私も自分に起こった動きについて、自問自答しました。

 

 

なぜ、脚が強い力でつっぱるのだろう?

 

そうか、私は上に乗っている母を体からおろしたくて、抵抗したかったんだ。

 

なぜ、手を上に上げたくなるのだろう?

 

そうか、顔を叩かれることから守りたくて、手で顔を隠したかったんだ。

 

 

そして、その時できなかった、身体の動作を実際に行ってみます。

 

私の場合は、脚で床を強く蹴り、身体をよじり、手をクロスさせて顔をしっかり覆いました。

 

そして、「感情のまま、私を叩かないで!殴ることで私をコントロールしないで!」と口に出して言ってみました。

 

はっきり言って、心理的には辛い作業でした。

 

しばらく、しゃくりあげるように泣いていたと思います。

 

しかし、心の中で何かが前進して、私の一部が動き出した感じがあります。

 

その時できなかった動作をきちんと完遂させた達成感のようなものが加わることで、記憶の中の「無抵抗で殴打される自分」の悲しさ、みじめさが、軽減されたイメージです。

 

 

心が姿勢に反映されるように、心と身体は密接につながっています。

 

だから、身体から心にアプローチすることも可能だし、言葉や意識で届かせようと思っても届かない、深い痛みの部分に触れることができる面白いカウンセリング手法だと思います。

 

 

ただ、トラウマの痛みや重さは個人差がありますし、トラウマを受けた時の状況を思い出す時に、パニック状態や過呼吸発作など危険な状況になることも考えられます。

 

また、フラッシュバックや再トラウマ化の危険もあります。

 

なので、安易にやることはオススメしません。

 

もし興味がありましたら、SEに関してネットで情報を集めたり、本を読んだりしてみて下さい。

 

人によっては、SEの専門のカウンセリングにきちんと頼ることをおすすめします。

 

私もだいぶ調べてからでないと怖くてできませんでしたし、現在、その辛かった状況からサバイバルできているという自信、安心できる家庭があるという拠り所があるから実践できました。

 

 

また、今は母との仲は良好です。

 

たとえ血縁者であっても、離れて暮らした方が間合いよく、その方が上手くまわることもあるのです。